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伝統の未来

建築 建築

日本では古代末期以降、ハレの儀礼・接客の空間と対照をなす、ケの日常・奥向きの空間の充実が進んだ。その完成形が、内部空間を細分化して襖障子や明り障子などの建具を用い、小部屋の床に畳を敷き詰めた、現代の我々が「和室」と聞いてイメージする空間の原形としての「書院造」だ。中世から近世にかけての移行期に成立した書院造と、そこから発展、分化していった日本の住居空間を、世界の建築史の中に置いて俯瞰したとき、人間の身体性に寄り添った素材・スケールによるデザインは、ひときわ抜きん出た洗練に達している。

こうした日本の住居空間の特徴は、何より床に柔らかな素材──藺草を編んだ畳を用いているところにある。日本以外、たとえばヨーロッパにも木造建築の伝統はあるが、日本のそれほど床を柔らかく作っている例はない。中国にもかつて床座の文化があったが、椅子という家具が普及したことで、早い時期に床座の生活は消えてしまった。対して、畳を敷き詰めた柔らかな床には、直接座ることもできるし、身体を横たえることもできる。そのような空間、建築との関わり方を前提とした上で、たとえば数寄屋のような、書院より小さい、住居的な空間の中にどうデザインを凝縮するのかという問題設定が、日本の近代的な住空間を用意するに至ったのだ。近代以降の日本の住居は、必ずしも畳を敷き詰めた「和室」を持たない例が増えているが、私たち日本人は、床に座る/建築そのものに腰掛けるという日本建築に内在する身体性を今もなお失ってはおらず、むしろ再発見しつつあるようにさえ見える。

日本建築の核心が身体性にあるとするなら、もっとも直截に身体が剥き出しになるのは、床以上に、風呂という空間であろう。ここに、近代から現代の建築へ飛躍する、ひとつの旋回軸があるのではないか。住宅建築について語られる際、決してその中心になり得て来なかった「風呂」が持つ意味を、画像と模型によって捉えなおす。

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風呂のなかのモダン|
監修:隈 研吾

風呂の中にこそ、モダンが隠されていました。和の巨匠3人が設計した風呂は驚くほどモダンであったのです。おそらく裸の身体を前にしては「和」などと、かっこをつけてはいられなかったのでしょう。裸の、無防備な身体を前にした時、和の巨匠たちの中に隠されていたモダニストが顔を出したにちがいありません。

都ホテル佳水園|村野藤吾

都ホテルの庭園の中の離れ、佳水園の風呂は
意外に小さくてかわいらしいのです。
数寄屋造りの旅館は高級という偏見を打ち壊します。
何でもないタイルを使っても、チリの微妙な扱いによって、
小さな風呂場が数奇屋造り化するという、この奇跡。

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惜櫟荘|吉田五十八

惜櫟荘の風呂をデザインするに際して、
施主の岩波茂雄は吉田を伴って箱根の温泉を訪ねて、
二人で風呂をハシゴしたそうです。
とびこんだときの水の溢れ方をチェックしたといいます。
オーバーフローこそがデザインの要であるのかもしれません。

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八勝館湯殿|堀口捨己

堀口の和風建築はその知的で武骨な
コンポジションに注目されがちですが、
天皇の宿泊所として知られる八勝館の風呂は
意外にも初期の分離派時代の堀口的な、
インテリアデザイナー的な華やかさが感じられます。

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