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伝統の未来

染織 染織

中国の河姆渡遺跡から約7,000年前の機織り道具と養蚕に関する遺物が、またエジプトでは約6,500年前頃の麻織物が出土、ペルーでは約6,000年前のインディゴ染めの遺物が見つかるなど、染織の技法は極めて古い時代から人類の傍らにあったことが知られている。日本では縄文時代草創期から麻の繊維を用いた縄、また弥生時代には麻と確認できる布片が出土し、古墳時代に入ると中国から養蚕の技術が伝えられた。やがて京都・西陣を中心に確立した技術を学び、金沢の友禅染め、山形の米沢織、茨城の結城紬、仙台の仙台平など独自の染織技法が各地で育っていく。

この状況が大きく変わるのが幕末だ。産業革命がイギリスの綿織物工業から始まったのを範として、江戸時代末期から進んでいた製糸の機械化は、明治時代の殖産興業政策もあいまって加速。近代化を支える産業として、1930年代には繊維産業全体で、日本の輸出総額の約半数を占めるまでに発展した。第二次世界大戦後には合成繊維が競争力を持って世界市場を席巻するものの、繊維産業の製品出荷額は1991年をピークとして、現在はその3分の1まで減少している。

とはいえ、織物が36件、染色品が11件、その他繊維製品が4件と、伝統的工芸品の中に染織品の占める割合はいまだに大きい。一方、衣料用途だけでなく、自動車、医療、エレクトロニクスなどの産業用途で国際競争力を有する、高機能繊維に活路を見出すメーカーも少なくない。

こうした状況を踏まえ、この展示では「裂き織り」「紙布」「大島紬」「絞り」など10件の技法を選び、帯や能装束に用いられる豪華な金属箔を織り込んだ布と、ポリエステルに金属分子を付着させる「スパッタリング」を施した布、糸芭蕉の繊維を使った芭蕉布と、アルカリで溶かした芭蕉を綿糸にコーティングした再生芭蕉糸による現代版芭蕉布など、伝統的な技法や素材と、新しい技術や解釈によって制作した「NUNO」の製品とを対比させることで、双方の魅力と可能性を際立たせた。

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今に至る布の筋|
監修:須藤玲子

日本各地には、地域に寄り添い育まれてきた多種多様の染織品があり、それを使う着物の文化があります。例えば、産地には今でも「悉皆」と呼ばれる、着物を仕上げ着用後の保全まで一切合切引き受ける技術者がいます。これは一枚の染織品を大切に扱う日本人の知恵。そこには一枚の着物が「箪笥替え」をして、時代を超え、着る人を超えていく「筋」があります。

ぼろ

農村の人々のよそゆきだったに違いない、絣模様が美しい「からむし(苧麻)」の一張羅は、丁寧な「継当て」がびっしりと施されており、表からはほとんど見えません。「からむし」は日本の原始布の一つですが、庶民にとっては貴重な一枚だったのでしょう。大切に着用していた形跡に魅了されます。ひとつの裂(きれ)端も無駄にしない日本人の布との関わりは、今の私たちにも形をかえて残っています。

NUNOでは、製品づくりの過程で生まれた様々な残布、裁断クズを一手間かけ、つぎはぎ刺繍布にしました。相性の良い天然素材の布裂(ぬのきれ)同士を色合いを考え、同じ大きさにカットし並べ、ステッチでつなぎ合わせると、レースのような「つぎはぎ」布ができます。

大島紬

大島紬といえば、締機(しめばた)という、絣柄をほどこす機を開発し、稀有な技術を伝承している産地の織物として有名です。奄美地方の植物「車輪梅(しゃりんばい)」に、鉄分の多い「泥」を使い染色した渋い色調が魅力の絣織物です。現代の大島紬は、白大島、色大島など、意匠をこらした織物づくりが盛んになってきており、季節や用途も広がってきています。奄美大島では今でも数多くの事業者が織物業に携わっており、反物の端裂を大切に保管しています。その小さな端裂を活用し、NUNOの「大島紬の再生デザイン布」をつくりました。

絞り

三浦絞りは、鳴海・有松の絞りの中でも最も古い伝統をもつ絞り技法で、ヒヨコ絞りとも呼ばれています。粒のなかの形が、雛鳥が羽を広げたような形に見えることから、その名がついたといわれています。つまんだ布地に木綿糸を巻きつける「くくり絞り」の一種で、つまんだ粒の大きさをそろえるには熟練技術を要します。

このくくり絞り技法に着想を得て生まれた、NUNOの「つまみ絞り」は、ポリエステルの熱可塑性を生かし、熱転写プリントとプリーツ加工を応用した新技法で、現代版絞り布です。

縞木綿

会津木綿は堅牢な織物で、古くから野良着などに着用された縞木綿です。藍地に白い縞が特徴ですが、「夏会津」と呼ばれ、緯糸に撚りを入れ、シボ感を出した白地の粋な綿織物もつくられていました。経方向の縞文様は、経糸に配した色糸によって自然にうまれる最も単純な文様です。文様を変えるためには、常に経糸を変えなければなりませんが、NUNOの「ドミノ縞」と名付けた文様は、ドビー織機により、縞文様を緯糸だけで織りだしています。

裂き織り

使い古した裂(キレ)を割き、撚りをかけ緯糸にし、木綿、麻の経糸に織り込んだ「裂き織り」には、どんな素材でも緯糸に使う、織り手の工夫と冒険心が満ちています。廃物の再生ですが、様々な色、素材が交ざる「やたら」な縞模様の中に、楽しみながら織り上げている素朴なリズムが感じられます。

細長くして何でも織り込んだ先人たちの知恵「裂き織り」に学び、絹の製糸工場で産まれた副産物「きびそ」を緯糸に織ったNUNOの手織り布は、硬く、不均一な太さの素材による変化に富んだ織物になりました。

生糸を製糸する際、繭の表面の硬い部分である「きびそ」が再生され、生き生きとした織物になりました。

芭蕉布

芭蕉布の糸は、3年間かけて栽培する糸芭蕉の幹を剥ぎ、裂き、細長い繊維にし「機結び(はたむすび)」をして一本の長い糸に仕立てます。とても手間のかかる工程を経て仕上げた糸は、藍と車輪梅(しゃりんばい)で染め、沖縄の伝統文様である「トュイグワー」「ヨカドゥ 」などが施され、美しい絣(かすり)模様の伝統工芸品、芭蕉布となります。

現代の加工技術は、美しい芭蕉糸の褐色の色合いを持つ、実用的な糸の再生を可能にしました。沖縄、奄美諸島に自生する粗雑な芭蕉の幹を伐採し、アルカリで溶かしゼリー状にし、綿糸にコーティングした再生芭蕉糸です。この糸を使うと、芭蕉本来の色を保ちつつ、80種類の異なる組織を組み合わせた複雑な縞模様を持つNUNOの「現代版芭蕉布」ができあがります。

捩織

捩織(もじりおり)と呼ぶ、透ける織物があります。経糸どうしを交差させながら織る、非常に手間のかかる織物です。京丹後地方の捩織で文様を織り出す「紋紗」は、丹後地方の海が凪いでいる時の水面をモチーフに織った繊細な織物です。捩織では、経糸どうしを捩(もじ)る操作に「振綜(ぶるえ)」という装置を使います。

広幅織物に「振綜(ぶるえ)」装置をセットし、経糸を交差させたNUNOの織物は、伝統織物「紋紗」のような複雑な構造にはできませんが、糸の太さを変え、多層に織ることで、経糸の動きがモダンに強調され、涼やかな絹織物となっています。

和紙

山形県庄内地方で織られた「真田帯(さなだおび)」と呼ぶ、女性用の粋な縞模様の帯は、経糸に綿糸を、緯糸には細くカットし、撚りをかけた和紙を織り込んでいます。綿花の育たない寒冷地では、和紙を織り込む織物は盛んに作られていました。おしゃれをする時に自慢げに着用したそうです。

美濃和紙を流れる水のように配した「流水」と名付けたNUNOの布地は、二枚の絹オーガンジーの間に織り込むことで、撚りをかけずに織ることができます。「美濃和紙」の特徴である、薄くて漉きムラがなく、丈夫な紙質が大きな役割を果たしています。

刺繍

日本刺繍の特徴は、刺繍の糸づくりにあります。絹糸を数本束ねた「釜糸(かまいと)」と呼ぶ束を、柄によって変えながら手作業で縫いこんでいきます。また撚りのかけ方により、糸の光沢が変わるので、使い分ける職人のセンスが光ります。

一方、現代のエンブロイダリーレースと呼ばれる「機械」による刺繍では、布地全体に刺繍が可能で、重ね合わせた刺繍なども自在にできるので、布のあちこちの模様を不安定に浮かし、ヒラヒラと動く、楽しい刺繍布もできます。

金属箔

和紙の上に銀箔を貼り、硫黄で酸化させる伝統的技法の「焼箔」。それを細くスリットし糸状にして、糸がねじれないように織り込む「引き箔」技法。金属質の独特な質感は、熱の加え方により模様が変わり、まさに職人の感性が問われるきわめて難しい表現です。現代では、金・銀箔などの金属色の意匠は、様々な蒸着技法が開発されており、どんな金属の付着も可能です。ポリエステルにステンレス合金を真空蒸着した、艶やかな被膜のような布は、しなやかで、熱可塑性も有することから、折り紙のようなジオメトリックなデザインの布地を可能にしています。