陶磁器の世界は多様かつ広い。ここではそれを「古窯」、「現代作家」、「工業製品」、「部品陶器」に区分し、その広がりを展望してみます。六古窯のひとつで、ルーツを古墳時代の須恵器にまで遡る「備前焼」、八面六臂の活躍を見せる「内田鋼一」、長崎の波佐見で白磁の定番商品をつくってきた「白山陶器」、そして昭和初期の、日用雑器の部品として用いられた陶器。この多様性の延長に日本の陶磁器の広がりを想像してください。
備前焼
備前焼は日本六古窯のひとつ。古墳時代の須恵器に端を発すると言われ、大陸の影響を受けない独自の風姿をもつ陶磁器です。釉薬を一切使わず、堅く焼き締められた肌合いや、焼成時に降りかかった灰が自然釉となる有機的な文様に特徴があります。地味な佇まいですが、静謐さの中の奥深い味わいがあり、桃山時代には茶陶として人気を博しました。その後は安価な磁器の台頭によって日常的な水瓶や擂鉢、酒徳利の生産に戻っていましたが、昭和にはいって金重陶陽が茶陶の伝統を蘇生させ、重要無形文化財「備前焼」保持者となりました。
伝統と現代性との間を揺れ動く葛藤は、今日の備前にも根深く存在しますが、古典や茶陶の原形を乗り越え、進化させようとする陶芸家たちの熱意で成熟を続けています。ここではたおやかな正統を感じさせる金重有邦、備前の先端を生み出そうとする隠崎隆一、若く切れのある造形で備前焼に向き合う矢部俊一の、それぞれの作風を紹介しています。
内田鋼一の仕事
内田鋼一は世界各地を放浪しながら窯業の村を訪ね、そこで暮らし、時間を過ごすなかで様々な土と出会い、独自の表現を体得してきた作家です。異国から取り寄せた異形の植物を植える大壷から、日用品としての急須や湯呑みまで、作り出すものは多様です。器の原型を彷彿とさせるような素朴さと、現代的な繊細さが同居する作品は、様々なジャンルから注目を集め、伝統的な陶芸家とは異なる活動領域を生みだしながら仕事をしています。土や技法に縛られない自由な創作活動の中には、日本の美意識がしっかりと潜んでいるようにも見えます。若い作り手が台頭し始めている今日の新しい陶芸の文脈を代表する意味で、ここでは内田鋼一の仕事を取り上げます。
波佐見焼|森 正洋
長崎の波佐見で、日々の暮らしに供することのできる量産ものの白磁を手がけてきた森 正洋の一連の仕事は、一品ずつ異なったものとして制作される陶芸家の陶磁器とは一線を画する工業製品でありプロダクトデザインです。飯碗や急須、醤油差しといったものたちは、個性を始末し、機能や有用性に徹し、安定した品質を保つ量産品として高い完成度を持っています。日本の食生活における定番といっていいほど、よく見かける、プロダクトデザインに向き合う良心が結晶したような製品群です。「安物を大量に作って、と言われるけれど、そういう数量をコンスタントに生み出していかないと、産業とは言えないと思うのです」と語っていた森 正洋の言葉とともにご覧ください。
部品陶器
昭和の匂いのする部品陶器の数々は、陶芸作品とは異なる懐かしいかたちやテクスチャーを持っていて、コレクションアイテムとしても注目を集めはじめています。それは凸凹のついた頭の治療用まくらであり、水道の把手であり、コンセントタップであり、スイッチの土台です。あるいは、漏斗とおぼしきものや、テープカッター、壁にネジで取り付ける式の小さなフック、果てはトイレットペーパーのホルダーまであります。
要するにこれらは、陶磁器というものが常套的に守備範囲としてきた「壺」や「碗」や「皿」や「瓶」や「杯」ではなく、日常のひそやかな場所で息をしているものたちのために、工夫され、生まれてきたかたちです。そのささやかな幸せの気配にご注目ください。