陶器の椀は欠けても継いで使い、漆器の椀は塗り直して使う。使い込んで、使い込んで、いい味わいが出てくるのを歓ぶ。その馴染んだ歴史を歓んで新しいことは嬉しいことではないのである。
掌で口元まで運ぶから器と人の関係が親密になる。親密だから思いも込もる。思いを込めて椀や椀の内なる風景を眺めながら箸をつかって味を楽しむ。
家族のお膳はそれぞれの領域を明確にしていて、その中の器はそれぞれ異なっている。夫婦茶椀は夫が大きめで妻が小さめの器である。子供は子供らしい可愛い器、ひとりひとり、個性的な器がお膳の上に展開される。西洋のように統一したりはしない。お揃いの器で統一された調和ではなく、それぞれの個性的な器を使いながら家族の関係を象徴していて、異なるものの調和が尊ばれる。
碗と椀が「人」に近いところにあるのは当然のことなのだろう。「素材」を大切にするのはこの手に持って口に運び、使い古して馴染み、自分だけの器を楽しむのだから当然なのだろう。
木地から塗りまで高山の地元の職人にお願いした。スタッキングできる「わっぱの椀」である。