JAPAN DESIGN COMMITTEE

メンバー

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細江勲夫 Isao Hosoe
デザイナー

プロフィール

1942年、東京都生まれ。1967年日本大学大学院航空工学科修士課程修了。学部・大学院を通して人力飛行機開発にたずさわる。イタリアに渡り、スタジオP.F.R.(ポンティ・フォルナローリ・ロッセッリ)を経て、アルベルト・ロッセッリ事務所に勤務。
1985年、Isao Hosoe Design設立。Bisazza、Cassina、Fiat、Isa、イトーキ、Loccioni、Luxo、三菱自動車、Piaggio、Sacmi、SNCF(仏国鉄)、Steelcaseをはじめ、欧州を中心とした大手企業との業務。A.D.I.会員、S.I.E.会員、日本デザインコミッティー会員。
黄金コンパス賞(伊)、ルビアナ・ビエンナーレ金賞、ミラノ・トリエンナーレ金賞、SMAU賞(伊)、IF賞(ドイツ)、IDマガジン年間賞(米国)、シカゴ・アテネウム・グッドデザイン賞(米国)、レッドドット・デザイン賞(ドイツ)など受賞。ヴィクトリア&アルバート美術館、ポンピドゥーセンター美術館およびシカゴ・アテネウム美術館永久保存。ミラノ工科大学、IUAV/Venezia、La Sapienza/Roma、ISIA/Firenze、シエナ大学、ドムスアカデミー等で教鞭をとる。著書に「プレイオフィス」(GC プレス)。現在もイタリアを中心に、国際デザイン賞審査や講演を行うなど、幅広い活動を続けている。

デザインに対する想い「デザイナーとしての外国人」

1年のイタリア滞在が、知らぬうち40年になってしまった。ミラノ滞在の理由は単に奨学金にそう決められていただけのことだ。銭湯の大好きな子供であった私が大学は航空工学を専攻し、日本初の人力飛行機の開発に携わったのも、銭湯の流体力学が好きだったからにすぎない。今となってはデザイナーといいながら、ほんとかいなと実は思っている。
日本人の顔かたちをし、日本語を読み書きし、日本の文化論を語る私を見て、そして40年にわたるデザインの仕事を見て、恐らく私のことを日本人デザイナーと呼ぶに違いない。
20年程前か、ナポリでデザイン会議があり、私の紹介をおこなったナポリの友人が、"この人は日本人でもナポリ人でもありません、ニッポリターノ(Nippolitano)です!"といってみなを笑わせたことがある。

1966|LINNET
1977|SPAZIO
1987|BIO TABLE
1970|HEBI
1996|FMP KILN
2003|INTERACT
2001|MAMMA
2001|ONDA
2005|CAM-ST